神戸異人館巡り歩き

「ラインの館」、「風見鶏の館」、「萌黄の館」

風格のある異人館が立ち並ぶ神戸・北野地区は、異国情緒あふれるハイカラな街のイメージがすっかり定着した感がある。

だが、江戸時代にさかのぼる140年前の北野村の景観は、現在の風景からは純農村だったころの昔の北野村の姿を想像することはほとんどできない。

かつては高みに位置していた北野村から南方に目をやると、生田神社の森を間にはさんで、大阪湾を一望のもとに眺めることができた。

生田神社あたりまでのゆるい傾斜地には、水田や畑がテラス状に広がっていた。

また村の東方には、松などの立木におおわれた生田川の堤とそれに連なる「川端山」と呼ばれる林が見えたそうだ。

生田川は明治4年(1871)に現在の新生田川に付け替えられるまで、ほとんど石と砂でおおわれた広い川床が今の新神戸駅あたりから南に延び、大阪湾に注いでいたという。

現在のフラワーロードはその川床を埋めた後の通りである。

濃い六甲の森の緑を背後に、瀬戸内海の青さを前に併せ持つ自然豊かな都市・神戸ともなれば外国人ならずともここに住みたいとだれもが思うことだろう。

戦禍と神戸大地震をも乗り越えてきた歴史ある異人館住宅群を訪ね歩いてみた。

 

ラインの館

緑にかこまれたこの館は大正4年にフランス人のJRドレウェル夫人によって建てられた。

木造2階建て、外壁は下見板張りオイルペンキ塗りで、ベランダ張り出し窓、よろい戸、軒蛇腹など、異人館の特徴をよく残している。

 建物は主屋と付属屋からなる。主屋の1階には応接間・食堂・居間が、2階には寝室や浴室が配置されていた。

ラインの館の名前はドイツ・ライン川とは関係なく、この館の下見板の横線(ライン)が美しいということから、市民の愛称募集で選ばれた。

風見鶏の館(旧トーマス住宅<国指定重要文化財>)

「風見鶏の館」として知られるこの館は、明治42年(1909)ごろドイツ人貿易商ゴットフリート・トーマス氏の邸宅として建てられたものである。

北野・山本地区に残る異人館で唯一レンガ張りの建物である。

色鮮やかなレンガの色調、石積みの玄関ポーチなど重厚な雰囲気を持っている。

設計はドイツ人建築家ゲオルグ・デ・ラランデ。

室内のデザインはドイツの伝統様式を取り入れながら19世紀末から20世紀初頭にかけての新しい芸術運動(アールヌーヴォー)の動きを感じさせるものがある。

昭和58年12月から昭和60年3月にかけて解体修理を行い、当時の写真などを参考にしてできるだけオリジナルの姿に戻した。

萌黄の館

大きな楠の木立ちに囲まれた国の重要文化財「萌黄の館」は明治36年(1903)にアメリカ総領事ハンター・シャープ氏の邸宅として建築された。

木造2階建て、下見板張りの異人館で、2つの異なった形の張り出し窓をはじめ、アラベスク風模様が施された階段、重厚なマントルピースなど贅沢な意匠が随所に見られる。

 落ち着いた灰緑色の外壁や正面の柱が実に趣がある。

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